いんたーねっとの、ほーむぺーじを、つくるとき、いちばん、たいせつなことは、「だれもが、よめるように」つくることです。わたしたちは、そう、かんがえます。
だれもが、という、ことばは、たいへん、おもたいもので、ほんとうに、まんぞくのいくものは、まだまだできません。それでも、それを、もくひょうとしていくことは、たいせつだと、おもいます。がいこくの、ひとには、ことばの、かべがあります。おなじ、くにの、ひとでも、ねんれいや、しょくぎょうにより、しっている、ことばやかんじに、おおきな、ちがいがあります。ちいさな、じが、よめないひと。ぎゃくに、おおきな、じだと、あたまが、いたくなるひと。いろわけによって、だんらくの、くべつを、たすけないと、りかいが、しづらいひともいれば、いろの、はんべつが、むつかしいために、しろくろの、ぺーじでないと、よめないひともいます。めではなく、おんせいに、へんかんして、ぺーじを、きくひとも、いるでしょう。
いんたーねっとを、りようする、かんきょうも、ひとによって、おおきく、ちがいます。はやい、かいせんと、おそい、かいせん。おおきな、がめんと、ちいさな、がめん。つかっている、ぱそこんも、ほーむぺーじを、みるための、ぶらうざも、いろいろな、しゅるいが、あります。「○○しゃせいの、ぶらうざで、みてください」というのは、たとえば、まちなかの、きっさてんが、「てんないでは、○○ぶらんどの、ふくを、ちゃくようのこと」という、かんばんを、だしているようなもので、とても、へいさてきな、かんがえかた、だと、おもいます。
あくせしびりてぃ、ということばは、からだに、しょうがいを、もつひとでも、ほーむぺーじを、よめるように、する、というばあいに、つかいます。それを、わたしたちは、もっと、ひろく、かんがえて、「しょうがい・ねんれい・ことば・そうち、などによる、せいやくを、できるだけ、とりのぞく」というように、かんがえます。そして、できるところから、すこしずつ、くふうを、つみかさねて、ひとりでも、おおくの、ひとが、らくに、よめるような、ぺーじに、していきたいと、ねがっています。